精神的なショックからごはんが食べられなくなった。
そういった話は人から聞いたことがあるし、世の中ではよくあることなのだろう。
しかし私は、これまでどんなに落ち込む事があっても、食欲だけは無くならなかった人間である。つまり、今回がザ・初体験である。
せっかく経験することになったのだから、その経過を観察して記録してみようと思う。
正確にいうと、食べられない、というよりは、ショックの余り食べることを忘れてた、の方が近い。

 

1日目
前夜、人と電話で話をした。その中でこれまで知らなかった事実を知り、その内容に私はかなりの精神的ショックを受けた。
夜が明けてからも、ずっと何かで心が刺されているような感覚があり、胸や肩のあたりが、押さえつけられているような、そんなずしりとした感覚を感じていた。
去年、私は横浜に住んでおり、辛い出来事が起こった為に(現在ショックを受けている内容と繋がっている)、其処を離れることになったのだが、何故かその横浜の風景が、苦しみとともにフラッシュッバックする。もう一生、横浜の風景も「横浜」という文字も私にとってはトラウマとなるのだろうか。

この数日前、私の絵が盗作されていたことが発覚し、私は裁判を起こさなくてはならなくなっていた。そのことも私にとってはかなりのしんどい出来事であるのだが、その何百倍ものしんどい出来事がずどーんと眼前に立ち現れてしまい、裁判のしんどさは、遥か彼方、蜃気楼の向こうに霞んでしまった。それくらい辛い事実を知った。

そういえばこれと同じ類の問題は、10年以上前にも経験していた。あのときは、どうやって乗り越えたのだったっけ。数ヶ月間、苦しんでいたような気がする。
苦しんでいたのは数ヶ月間だったが、その後も数年間にわたり、心のどこかに、そのことはわだかまりとして残っていた気がする。

この日は一日中苦しんで、何も食べていなかった。そのことに気づかなかった。
軽い吐き気もあった。
食べられないというのはつまり、それ(自分にとって辛い事実)を受け入れられない、咀嚼できない、ということなのだろう。吐き気というのも、受け入れられない事実を拒む反応であるのだろうな。
こうやって私が苦しんでいても、世界は何も変わらなくて、自分の人生の時間が浪費されていくだけだ。そのことはわかってはいるのだけれど、どうにもできない感じであった。

この日は原稿の締切日であった。頭も上手く働かないし何もしたくなかったけれど、どうにかこうにか8割方出来ていた原稿を完成させ、なんとか送った。

【この日考えたこと】
人のことを心配するとき、自分が出来るだけのことをしたのなら、あとはもうそれ以上心配する必要は無いのだ。結局のところ、それはその人の問題なのだ。(と、わかってはいても心配しちゃうんだよな、人の感情として。特に自分にとって特別な相手だったりすると。)

 

2日目
そういえばこの日も何も食べていない。その自覚は薄かった。食欲がわかないので、食欲や食事というものの存在を忘れている、という感じ。

何もする気が起きないけれど、父から土偶が邪魔だと言われたので、少し片付ける準備をする。

父に促され、車の運転の練習をする。(私は来月、長距離を運転する予定があるので、それまでに運転技術を上げておかなくてはならないのだ。)こんな精神状態で運転して大丈夫かな?と思ったけれど、練習は何事も無くスムーズにいって終了。
しかしいま考えてみると、いくら自分がもう死んでもいいと思っていても、父や他人を害する可能性のあることだったのだ、車の運転というのは。これは、いけない。精神状態が良くないときに車の運転をするのは避けるべきであった。いけない。ほんとうにいけない。

父から息が臭いと指摘され、歯磨きをして重曹うがいをしてデンタルフロスを使う。まだ臭いと言われる。胃が悪いのだろうか。痛いだとか、きりきりするだとか、そういう症状は感じていないのだが。軽い吐き気はあるけど。

近所にいる伯母の家を訪問。伯母はいろいろな料理を出してくれ、食べないと悪いな、とは思ったのだけれど、ほとんど手をつけれなかった。
伯母が作った、餃子の皮の上にケチャップとチーズを載せホットプレートで焼く、という謎の一品を、1つ食べた。
松前漬けと鮭を組み合わせたような、「ザ・北海道」て感じの、謎の漬物を、白菜の切れ端1つだけ食べた。
アルコールがダメな私に出されたサイダーは、けっこう飲めた。

風呂に入りたくない。入っていない。肌が乾燥して粉を吹いているけれど、クリームを塗る気力もわかない。
去年、辛い出来事が起きたあと、体重ががっつり落ちて、顔もめっきり老け込んだ。ようやく半年かかって肌や顔つきが回復したように思っていたけれど、また老け込んでしまうかもしれない。

けっこう、死にたい。私は平常時であっても常に心のどこかに軽く死にたいがある人間なのだが、そうやってダウナーの小出しが出来ているおかげか、本気で死にたいと思ったことはこれまではなかった。今、これまでの人生の中で一番、死にたい度が強い。だからといって自殺を考えたりとかはしないけれど。

自分にとって今回のような類のことが一番受け入れ難い出来事なのだな、と自分についての認識をひとつ広げる。

【この日考えたこと】
自分と他人は違う人間なのだから、人に何かを望んではいけない。猫を愛でるのと同じように、人とも接すればいいのかもしれない。猫が自分の言うことを聞いてくれなくても当たり前だ。なにか粗相をしても、仕方がないと思うことができる。人間同士は言葉が使えるので、それでどうにかできそうな気がしてしまうのだ。
いや。それでいいのか?言葉で理解し合おうとする努力を捨ててはいけないのでは。

 

3日目
寝付けないし、かといって起きていても何もできない。起きていると余計なことを考えてしまってつらい。これまで、そういうときにはひたすら寝るという対処方法をとってきたのだが、今はそれが使えない寝付けない。
死にたい度が高いのは続いている。
もう自分が何もできないような気になったりする。

あいかわらず食べてはいないけれど、抗不安薬は飲んだ。効かないけど。

苦しくて苦しくてベッドの上で七転八倒していて、もうどうしたらいいのかわからず、知人に電話してしまった。
電話で話をしているときは気が紛れた。
これまでずっと10年くらい耐えてきて、過去にも何度か、この知人には相談してみようかと思ったことがある。
けれども、相談内容には私以外の人間の問題が関わってくるので、ずっと相談できずにいた。
その、問題、というのは、不可抗力的な種類のことなんだけど、知人はそのことをとてもよく理解してくれたので、たすかった。
今までずっと自分ひとりの中に溜め込んでいたのだけれど、これなら、これまでももう少し相談してきてもよかったのかもしれない。いや、それともやはり今回も話すべきではなかったのか??
知人から、私がこれまでに経験してきたことは話として面白いから、形にして出したりできそうだと言われた。そう言われたことはすごくうれしかった。というのも、私自身もいつかは経験したことを漫画に描いたりして出していきたいと思っていたからだ。だから、いろいろ苦しい思いをしているけれど、正直いって、いいネタできた、という思いは常にある。まあ、この件はまだ、この先どういうふうに転ぶかわからないところがあるので、それによって面白いかどうか変わってくるから、どうなるかわからないけれど。
そういえば、1日目の時点では、ショックを受けた内容を言葉にすること自体、傷つく感じで、書き留めることも愚痴を言うこともできなかった。
2日経って、喋って言葉にするとこまでは大丈夫になったのだなあ。
そうなのだ。その瞬間は「もうあかん」てなことも、時間が経つと、その間に脳のニューロンネットワークの構築とかがどうにかこうにかなるのか、「あかん」な瞬間には想像できなかった形で受け入れられるようになっていったりするものだ。

ミルミル飲んだ。
ウーロン茶飲んだ。

窓の外を見ていたら、夕方ではない時刻なのに、雲の下の方が赤く染まっていて、きれいだった。

 

4日目
朝方、体がガタガタ震えることがあった。震えと痙攣の中間みたいな感じ。あれはなんだったのだろう。ただ単に寒かっただけかもしれない。

4日間ずっと毎日、発作的にひぃ~んと泣いてしまうことがある。けれど、一日のうち2,3回だし、10分くらいで落ち着く。一日中めそめそしたりはしていない。
一日中ぼんやりとしてぐったりとはしているけれど。でもそういえば、私は平常時もそんな感じの人間であった。「怠惰な双子・ぼんやり&ぐったり」。頭に浮かんじゃったので面白くもないし意味も無いけど書いてみた。

ショックを受けた内容を思い出したら胸がきりきりするけれど、思い出さなければ大丈夫。考えないようにしなきゃ。考えないように。

天気が良いとそれだけで癒される。

絵の盗作で裁判する件、父が弁護士を紹介してくれることになっており、その日程などを聞かされる。しかし話を聞いていても頭に入ってこない。何度も聞き返してしまった。何度も聞き返したのに、結局よくわかってない。
頭がぼんやりしているのだろうか。摂食障害の人は脳が萎縮して正常な判断ができなくなると聞いたことがある。そんなふうになったらいけない。そこまではいかないと思うけど。

やっぱちょっと動いただけで動悸がするな。
野菜ジュース飲んだけど、胃に重く感じられたな。
でも今日から、少しずつ少しずつ、食べて動けるようにしていきたいな。
吐き気はもう無い。

そうだ、そういえば食べられないって初めての経験だから、観察して記録してみよう、と思いつく。
折角書いたのだから、これから私が倒れて、病院に運ばれて点滴受けるとかなった方が、記録としては面白いのだろうけれど、でも、そこまではいかないんじゃないかな。誰にでもあるような一過性のものでおわれると思う。
今、おなかがなったから。そういえば3日間、食べていないのにおなかならなかったな。

その後、蒸しパンを半分食べる。2日ぶりに固形物食べた。

【この日考えたこと】
人と接触すると、嬉しかったり楽しかったり、色々な感情を味わわせてもらえるものである。そのなかから、苦しみや悲しみだけを除外しようとするのは、おかしいのではないか。苦しみや悲しみも、それを経験できるということは、有難いプレゼントなのではないか。

 

5日目
午前中、鬱の妹の通院に同伴する予定となっていたが、行ける精神状態ではないことを伝える。
家の留守電に、伯母から食欲の無さを心配するメッセージが入っていた。
私が食べていないことを、母は気づいていない。伯母からの留守電を聞いて知ったと思うのだが、全く心配する様子は無い。
若い頃は母のそういうところについて散々悩んだし、たくさん泣いた。けれどいまはもう、仕方が無い、そういう人なんだ、と諦めがついている。
けれど妹は、今現在母のことで苦しんでいる。それで妹の通院に私もついて行って、家庭内の状況について私からはどう見えるかを医者に伝える予定であったのだ。
自分に数日前に起こった出来事と、絵の裁判問題と、妹の鬱と母子関係、複数の問題が並行しているように思えるが、人生はその方がふつうなのだろう。

この数日間、精神状態はずっと厚い雲が立ち込め、ところにより雷雨、という感じであったのだが、この日の午後になると、雲の切れ間が見えるような時間が出来てきた。
前日、ブログを書いたことで、脳内の情報処理がすすんだような気がする。

そうだ、辛い時こそ、それをネタにしなくては。
落研時代に先輩からそう言われていたのに、忘れていたよ。
『ごはんが食べられなくなった、さあどうする』大喜利を考えていたが、
「上からだめなら下から入れる」
という痛そうなお答くらいしか思いつかない。
一番苦しんでいる問題も大喜利のお題としてみるが、思いつくお答がなにやら『復讐方法大喜利』の様相を帯びてきて、いけない。
苦しいことを笑いに変えることができたら、それが最高の復讐になることはあるかもしれないけれど、別に私は復讐がしたいわけではないんだよ。
大喜利やっていたら疲れた。まだ早かった。
しかし、どうやったら面白く出来るか、と考えることは、問題を一つ上の次元で見られるので、辛いときに有効であるな、ということに気づけた。

母はおかゆを作ってくれるわけでもなく、油でぎっとぎとの焼きそばを作っていた。すごいなこの人、と改めて感服してしまった。
焼きそばを1/4皿食べた。
白飯を数口食べた。白飯おいちい。
蒸しパンの残り半分を食べた。
野菜ジュース飲んだ。
ノンカフェインコーヒーを飲んだ。

【この日考えたこと】
もう人とは深く関わらずに生きていった方がいいのではないか、と、こういうことがあると思ってしまったりもする。けれど、身近に、そうやって人を切り離して生きている人がいて、人を切り捨てるということはそれはきっと自分のこころの一部も切り捨てることで、その人は表面上は上手くやっているように見えるけれど、その人に切り捨てられたその人の一部がこころの奥で悲鳴を上げている声を聞いたことがある。それを思うと、それは違うのだろうなあと感じる。

 

6日目
腹痛で目が覚める。痛みは背中側に移動し、一日中腰痛とともにいた。

なんだか、世界がこわい。自分のこころの中の問題が外界に汎化されて投射されたかのようだ。自分以外の人間もフィクションの世界もこわい。
でもこの感覚、私にはたまに訪れるものであり、慣れたものだ。

私の食欲は遠く旅に出てしまったのか、予想に反し、いまだ戻ってこない。
けれど意識したら、少しずつ時間をおいて食べることは出来る。いいのだ。世の中には食欲があまり無いというタイプの人達がいるらしいし。私はこれまでは何よりも食べる事が好きだったけど、そうではない人間に生まれ変わったのだと思えばいいのだ。サーチュイン遺伝子を活性化させてやる。
お好み焼き3/4食べた。
白飯を数口食べた。
牛乳飲んだ。
ココア飲んだ。

家の中に掃除機かけた。普段は30分くらいで終わるのを、休憩を挟みながらやったので、4時間くらいかかった。
数日ぶりにうんこ出た。

食欲は戻ってきていないし、精神状態もまだ悪いけれど、意識すれば食べられるようにはなったので、この経過観察記録はとりあえずこの日でおしまい。
観察記録をつけるのであったら、客観的な数値として体重を記録しておけばよかったのかもしれないが、食べられなくなる前の体重がわからない。
けど、たしかに痩せたとは思う。お腹がへこんで、ズボンがガバガバになった。

私の経験した状況は何と似ているのだろうか、と考えていた。
介護と似ているのでは。いや、似ている、ではなく、言葉の意味通り介護だったのだ。
例えば、認知症患者の介護。お金も無くなり、時間も奪われ、体に負担もかかって、耐えて尽くしても、大声で怒鳴られたり、叩かれたり、線路に飛び出しそうになっているのを見つけて心配したり、近所の人から白い目で見られたりする。それでも感謝の念も持たれず名前も忘れられて、逝ってしまわれて、おしまい。
そう考えると、私と同じような感情を経験している人達はこの世にたくさんいるんだ。

そもそも、私は途中で姥捨て山に捨てるようなことはいくらでも出来たんだ。でも私はどうしても捨てられなかった。自分で選んだことだ。仕方が無い。

吾妻ひでおさんの『失踪日記』が出たときは、自分とは遠いこととして面白く読めたけれど、『アル中病棟』が出たときは、「あーこれ家族は相当大変だっただろうなー」という視点でどうしてもみてしまい、読んでいて胃が痛かった。
共感が出来る幅が広がったのは、いいことだ。
自分が似たような境遇に置かれないとそうなれないのは、情けないけれど。

私の問題の発端は、まだ逝ってしまってはいないので、これからも他人を叩いたり線路に飛び出したりし続けるのであろう。だけどそれはもう私が抱える問題ではないのだ。きっと。
そもそも私だって、人から見たら、他人の家の前でうんこするようなことをしているのかもしれない。
完璧な人間なんていないのだから、みんなそうやって少しずつ成長していくしかないのかもしれない。それを一気にどうこうしたいと思ってしまうのはおこがましいのかもしれない。